康平寺、今回で四回目になりますが、もう少し全体的な流れを探ってみようと思います。そこで、この場所に始めて祠を作った人をお呼びして、それから後の話をお伺いすることで、全体の流れが掴めるかもしれません。
それではお話を聞いてみることにします。
康平寺の元の場所に社をつくった方との対話

お名前はおわかりでしょうか。

名前はわかりません。

大体何年位前に、祠(ほこら)をお建てになりましたか。

最初に建てた時というのは、いたって小さな祠でありました。
神様の光が落ちたということで、建てたものでありますが、どういうわけか始めから仕組まれたような仕事ぶりでありました。
この祠には、最初は名前などついておりませんでした。
私の思いがどちらかといえば、素朴な思いで始めたことであります。
そのため、名もなくそのことの重大さもあまり考えずに、何気なくたどり着いたその場所に、ただ祠を建てたというだけのものでありました。
よって、その時の細かなことはあまり覚えてはおりません。

今から何年位前のことでしょうか。

相当古い時代ではあります。
何年と聞かれても、数えられぬように思っております。
大まかな概念で言えば、数千年から一万年位ではなかろうかというくらいの思いであります。

神社にいつ頃名前がついたのでしょうか。
そして、その後の名前を教えていただけないでしょうか。

だいぶ時代がくだってから、この祠がもう少し立派なものに造りかえられた時、名前がついたと思います。

その時の名前は何といったのでしょう。

神社としての名前は「神善神社(かみよしじんじゃ)」といったように感じております。
注:神社というのは概念で、正確には神社という呼び方ではなかったように感じましたが、言葉がわからず神社と表示しました。

それがだいたいどれ位前になりますか。

およそ五千年位前ではなかろうかと思われます。

神善神社で主だった出来事は、何かありましたでしょうか。

栄えておりました。人々がこの地にようやくの思いで辿り着き、神様に手を合わす場所として栄えていたのであります。
大変立派な社で、当時としては一番最先端の所でありました。

ここに須佐之男尊(すさのおのみこと)や邇邇芸尊(ににぎのみこと)も参拝されたのでしょうか。

お見えになりました。
須佐之男尊は天を仰ぎ、この神様を前にして、おもむろに足を組んで座し、そのまま頭を垂れ、国造りの成就を願っておられました。
当たり一面は人々が退いて、須佐之男尊一人敷石の上に座しておられ、他の者を圧倒する勢いで、神と対峙しておられました。
それをじっと見護る存在が周りの群衆の中におりました。
それは、美しき女性の姿でありました。
その見護る思いは、周りの者達を押さえて須佐之男尊を護っておられました。
しかも、その輝しき存在は、見えるところ二ヶ所ございます。
幾重にもそのようにして、尊をお守りされていたのだということが見て取れます。
須佐之男尊は心ゆくまで、神との対峙をされ、意を決したかと思うと即座に立ち上がり、手を合わせ、一礼をして、去って行かれました。
その後は、群衆がまたいつものごとくに押し寄せ、人波でいっぱいになりました。
美しいどころの方々は、須佐之男尊に従って下山されました。
その約千年後に、邇邇芸尊(ににぎのみこと)も同じように参拝に来られています。

空海様が来られた時には、どのような状況だったのでしょうか。

その頃には、神社ではなく寺として、少々の姿を変えており、趣の変わった形となっておりました。

では、寺に変わったところの経緯をお教えてくださいませんでしょうか。

神社であってより久しく、その栄えた様は次第に衰え、静かなる姿を湛えておりました。
一時期の繁栄が嘘のように静まりかえり、人々の往来も途絶えがちになり、珍しくもなく、ひっそりと佇んでおりました。
やがて人々の中からその姿を案ずる声が上がり、ちょうどその頃仏教の伝来があったのございます。
当時としては新しい仏教が、流行り始める頃でございました。
御多分にもれず、この波に乗ろうとしたのであろうと思います。
そこを、寺として興し直す動きが出たのです。
その時に、場所を移すことが語られておりましたが、すぐ様には実行はされませんでした。
とりあえずは現存のまま、寺として形を変え、名を変えて、人々を呼び込む計画であったようです。
それは「一康寺(いっこうじ)」としてなされたものであります。

それは、何年前になりますか。空海様よりどの位前になりますか。

空海様が来られた時は、すでに七百年位は経っていたのではないかと思われます。

ということは、今から二千年位前になりますか。

はい。

それで空海様が来られて、大きく変化をしたのでしょうか。

空海様は、この神社とも寺ともつかないように見える姿をご覧になられて、寺なら寺として、今少し充実をさせるべきであると考えられたようで、その時に徹底して、つくりかえられたのであります。
そして場所を変え建物も新しくなり、心根を新たになさったことで、多くの修業僧達の憧れの的となったのであります。
皆誰もが、こちらに入りたいと思われ、一人また一人というようにして、この寺を訪れる修業僧が増えていったのであります。
そういうことは、勢いが次の勢いを呼び、さらにさらに立派なものへと成長していったのであります。

その後、空海様が中央で活躍されたことで、この寺に年号?の「康平」という名をいただけたわけですか。

はい、そうです。

空海様がお寺を移動された場所は、今の所でしょうか。

元なる康平寺のあった所です。

何か伝えることがあれば、お願いできませんでしょうか。

ここは元々、人々の暮らしの安寧を祈念して建てた祠から始まったのであり、その後、国造りということについて永く祈られ、またその流れで、御仏の光をいただくこととなった所でございます。
これほどまでにすべてのものを含んだ寺は、その始まりの所として、誇りを持つべき寺でございます。
それを、自信を持って世の人々に伝えていけるような場所として、再興していただきたいと思います。
大変高貴な方々がお見えになった所でもあり、必ずその光というものは再び現わすことができると信じております。
そのように願っております。
(初出:2013年7月12日)

