分福茶釜の茶坊主と名乗る方との対話

分福茶釜ですね?
いつだったか以前にも来られましたね。

ずいぶん前だと思います。

そういう名前を使われたということですね。
よろしくお願いします。

大体が霊界という所は、思いによって現れる世界であり、もうそのようなことはとっくの昔に学習済みであろうが、その思いが微妙に色の変化を起こし、形の歪みを起こし、真っ直ぐに見えていたものが、ねじれ始めるということが起きるのである。
そのようなことは目には見えぬゆえ、誰も気がつかぬまま進むことも多い。
それを見破るのが審神者をする者の仕事である。
これは一定の悟り以上の境涯にまで達した者でなければ、見破ることはできぬ。
非常にわかりやすいものから、まるっきりわかりづらいものまでさまざまなものがある。
ちょうど、水を入れた水槽の前に一枚の透明なフィルムを貼り付けたがごとく、全く気づくことができぬ時がある。
だがそこには紛れもなく一枚のフィルムが貼られているのであり、これを見抜く者はよほどの悟り人であるということが言える。
このように霊界という所にさまざまに現れるものがいかに、巧妙かつ複雑であるかということをも、数多くの体験を通して体得しなければならない。
常に常に正しく、常に常に清いばかりでは気づかぬものなのだ。
それゆえさまざまな世界を見せていると思う。
さまざまな思いが胸中に沸き起こり、それが一体どのように変化をし、どのような世界を創り上げていくか、またそれをどの方向から見ることにより、入った光が何色に変化していくか、それらを全て縦横無尽に360度全ての方角から見えるようでなければならん。
そこに到達するまでは応分の時間がかかろうというものだ。
一見、邪悪なものに見えたとしても、それが一瞬透き通る瞬間というのを見たことがあるか。
それはどのようにした時に、その透き通る隙間を見ることができるのか、いや、そのような透き通る瞬間があるということさえ、ほとんどの者は気づかぬであろう。
邪気は邪気として、振り払われるからである。
実にさまざまなことがある世界であるということを体得されると、なおいっそう、この霊言が向上するということであります。

なるほど、ありがとうございます。やっぱり経験を通さないとどうしてもわからないところが出てくるのですね。
以前、悪霊とか悪魔とか言われた方が来られた時に、やはり、そちらの方向にハンドルを切った瞬間の気持ち、それがわかった時に、なぜか相手と非常にわかり合えたような気がしましたね。
そこから入っていって三帰誓願を勧めたかと思います。
そういう瞬間、瞬間を見逃さずに、そしてまた、心の中が少し、何というか違う方向にブレた瞬間、その霊的な人のですね、確実に見ていけるようになっていければいいなと思います。
まだまだ、どちらかと言うと、お人好しなところがありますので、言葉を聞いて「はい、そうですか」というところもあるかと思いますけど、しっかり審神者をしていきながら、やっていきたいと思っています。
今のところ、大雑把では良い方向に進んでいるのでしょうか?

そうではある。
実に良い体験を積んでいると思う。
いらぬものを混じらせぬよう注意を払っているのがわかる。

ありがとうございました。
これからもまたがんばっていきます。
この言葉は、非常に質の高いというか、皆さん聞きたいことだろうと思いますので、ブログに上げてよろしいでしょうか?

私は一向にかまわぬが……

ありがとうございます。
それではこれから、いろんな霊言をする方もおられると思いますので、その方達へ何かの参考になるかと思います。
もちろん、私も参考にさせていただきます。
今後共よろしくお願いします。
本当にありがとうございました。
(初出:2014年1月13日)

